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八幡荘(やわたしょう)は、鎌倉時代の日本の陸奥国にあった荘園である。現在の宮城県多賀城市八幡2丁目を中心にして、同市西南部と仙台市宮城野区の東部にまたがる。 == 範囲 == 古代の宮城郡の一部を割いて成立した。八幡の名は、永仁7年(1299年)に地頭の陸奥介景綱が鐘を奉納した末松山八幡宮(現在の多賀城市内にある八幡神社)からとられたのであろう。八幡荘は、この八幡を中心として、現在の砂押川の河道を通っていた当時の七北田川の南に広がっていたと考えられる〔三好俊文「八幡荘と治承・寿永内乱」33頁。〕。荘内には中野郷、蒲生郷、萩薗郷があった〔三好俊文「八幡荘と治承・寿永内乱」35頁。〕。 中野郷は八幡より南、近世の中野村、現在の仙台市宮城野区中野に地名を残す。中野高柳遺跡が12世紀以降の集落遺跡で、これにあたると推定できる〔三好俊文「八幡荘と治承・寿永内乱」35頁。〕。 蒲生郷は近世の蒲生村、現在の宮城野区蒲生であろう。 萩薗郷の所在は不明だが、手がかりはある。寛喜2年(1230年)の文書に、「うのかう」から南が海、東が「なかの」(中野)、北が「はきのその」(萩薗)、西が「きののまのほ」(不明の地)という記述がある。「うのかう」は蒲生のことと見て、太平洋は南ではなく東、中野は北西にあるので、方位をずらしてあてはめ、南西が萩薗で現在の宮城野区岡田の西部、「きののまのほ」は蒲生から南の岡田の東部にあたると推定する〔三好俊文「八幡荘と治承・寿永内乱」36頁。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「八幡荘 (陸奥国)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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